終戦後、駅で暮らす戦争孤児を私財をなげうって保護し、育てた主婦がいた。東京・中野の「愛児の家」で園長を務めた故・石綿貞代(さたよ)さんだ。
なぜ、そこまでしたのか。三女の裕(ひろ)さん(90)に聞いた。
終戦後の1945(昭和20)年秋、貞代さんの友人が、6~7歳ぐらいの男の子を保護してきた。戦争で孤児になっていた。
貞代さんは、男の子を自宅に住まわせた。自身や裕さんら娘たちと同じ部屋に寝かせた。
翌年になると、貞代さんは上野に行っては、そこにいる孤児たちを保護するようになる。
一緒に上野に行った裕さんは、子どもたちに声をかける貞代さんの姿を鮮明に覚えている。
不忍(しのばず)池のそばの路上に、わらのむしろをかぶって、誰かが寝ていた。
路上で眠る幼い男の子
むしろを少しめくると、小学…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル